歌の題名シリーズ

2012.05.14

「彼とささいな口げんかをして 旅に出たけど寒い ウェストコーストの田舎の道で 出逢った渋いグランパ~ 」
誠に私事で恐縮ですが、昨年12月16日に東京に住んでいる長男夫婦に長女が誕生し、私もおじいちゃんデビューとなりました。この前のゴールデンウィークに里帰りで孫に久しぶりに会い感じたことがあり、今回そのものズバリ「おじいちゃん」ということでこの曲を題材にしました。
この曲は高橋真梨子さんのファンの中では、「for you」と並んで代表曲のひとつだというくらいの人気の曲で、私も大好きです。高橋真梨子さんのコンサートでは、観客が総立ちで盛り上がるというようなことは長い間なかったのですが、最近ではこの「グランパ」のイントロが流れると観客が少しずつ立ち上がり、この曲の最後にはほとんどの観客が立ち上がって、拍子を取るようになってきたみたいです。ファンの年齢層は当然のごとく熟年世代が中心ですが、この曲の時は若者同様のノリで楽しんでいるみたいです。
ところで孫の話になりますが、昨年12月15日に陣痛が始まったのですが、そこから出産まで丸一日の時間が経過するほどの難産で、出産後泣き声に元気がなかったので保育器での経過観察となりました。出産翌日に家内とふたりで見舞いに行きましたが、保育器の中にいたので窓越しでの対面となりました。でも無事に1週間後母子ともに退院という連絡を受けた時はとてもうれしかったです。
そして1月22日にお宮参りでこれも日帰りでの東京移動のため、初めて抱っこをしましたがそんなにじっくりと接することができなかった2回目の対面になりました。今回の3回目の対面で初めてじっくりと孫の顔をながめたりする時間が持てました。
私は子供がふたりとも男の子で、女の子の赤ちゃんとの生活を経験したしたことがなかったのですが、まだ4ヶ月の赤ちゃんだからこれからどうなるかが分かりませんけど、男の子の赤ちゃんの頃と比べるとしぐさが優しいというかやんちゃなところがなく、女の子は育てやすいとよく言われますが、まさにその通りだなと思いました。3日間の滞在で初めの頃は私が抱っこすると曇りがちな顔になりましたが、3日目になると私が抱っこしても笑顔を振りまいてくれました。赤ちゃんの笑顔は本当に凄いですね。一気にこちらの方も笑顔になってしまいました。それと私の実家にも連れて行って私の父母にも初対面したのですが、ひ孫の顔を覗き込む時の私の父母の顔にも笑顔があり、年齢差が父とは94、母とは87と、大げさに言うと一世紀弱も先輩である私の父母より、赤ちゃんの方になぜか軍配が上がるような感じで不思議な感覚でした。
これから年に1~2回ぐらいしか会えないでしょうが、その都度成長していく姿を見るのが楽しみとなりました。そして孫の顔を見ていて新たな目標が浮かんできました。それは孫が中学生や高校生ぐらい大きくなって私が東京に遊びに行ったという設定のときに、一緒に東京見物の相手をしてもらい、もんじゃ焼きなんかを食べたりしたいなという思いです。
そのためにはこの高橋真梨子さんの「グランパ」の歌詞ではありませんが、渋さあるいは感覚的な意味での若さを持っているおじいちゃんにならないと、この目標はできないと思いますので、何か人間的にも魅力があるようなところを作れるように、自分磨きをしないといけないなと思いました。まず健康な身体が必要になるので、ジョギングかウォーキングという気持ちになりました。それと何か「おばあちゃんの知恵」のように昔ながらの知恵みたいなことも教えられるようになるために、雑学的な部分の知識も身につけたいという気持ちにもなりました。
ところで今回取り上げた曲はファンの中でしか知られていない歌だと思いますので、聴いたことがないという方もおられると思います。一度YOU-Tubeで検索して聴いてみてください。何故か不思議と元気になる曲だと私は思います。
(織田店 阪下春夫)


Posted by 織田店 at 17:34 コメント(0件)

2012.05.01

「うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと~ 」
由紀さおりさんは2011年にアメリカのジャズバンドのピンク・フルティーニと共演したアルバムが、世界的に大ヒットし2011年暮から「時の人」のような扱いを受けています。このジャズバンドとの共演は、たまたまバンドリーダーが由紀さおりさんの中古LPの「夜明けのスキャット」を偶然聴いたことが事の発端だったらしく、由紀さおりさん本人もこのヒットにはビックリしている様子であります。しかしこの前ラジオであるパーソナリティーの人が述べていたのですが、2011年東日本大震災や福島原発事故において故郷が壊滅的なダメージを受けたこととか、強制的に故郷から他の地方に避難させられたりとかで、この「ふるさと《唱歌》」が特別な想いの歌として、日本人の心の中から呼び出されてきました。そして現時点でこの唱歌を一番上手に聴かせてくれる人は誰かと尋ねたとき、それは由紀さおりさんだと言っていました。由紀さおりさんは実姉の安田祥子さんと2人で、童謡や唱歌を大事に歌い続けており、この2人で歌っている「ふるさと」や「赤とんぼ」はとても心の中にすうっと入ってくるきれいな歌声です。ですから今回この時期に由紀さおりさんにこのようなスポットライトを浴びせたのは、東日本に住み着く神様たちがなせるワザではないのかというコメントで、私自身もそのコメントに大きく納得しました。
それからもう1つ神様がなせたワザではないのかと思われる出来事があります。それは今年の春の選抜高校野球大会開会式の選手宣誓です。この選手宣誓を誰が行うかというのは、大会の組み合わせ抽選会のときに対戦相手が決まった後、選手宣誓を希望する高校の中からくじ引きで当たりくじを引いた高校のキャプテンが行うことになっていました。そして今回選手宣誓を希望する高校は、参加校すべての32校だったようです。その競争率32倍の中から引き当てたのが、東日本大震災で被災しながらも町の復興と野球の練習でがんばってきたことが評価され、21世紀枠で選出された石巻工(宮城)の阿部キャプテンでした。こんなことは偶然かもしれませんが、本当に神様がなせたワザだと思いました。
そして開会式での選手宣誓は「日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気そして笑顔を。見せましょう日本の底力、絆を~ 」という内容で、とても18歳の高校生とは思えないくらい堂々と、そして言葉もスラスラと落ち着いた表情で宣誓していました。これはもう神様が、阿部キャプテンに乗り移って宣誓しているのではないかというくらい感動しました。恐らくこのような緊張する大舞台で感じる以上の、深い悲しみや苦しみをこの震災で経験したのだろうなとも感じました。
それともうひとつ、アメリカのアラスカ沖のミドルトン島の海岸で、日本語の寄せ書きがあるサッカーボール、バレーボールが漂着しているのが見つかったことです。ふたつとも東日本大震災での津波で流されたもので、1年以上もたって5000㎞も離れたところで見つかりました。これも拾った人がいい人だったのと、拾った人の奥さんが日本人だったという偶然により、この書いてあるものが寄せ書きだとわかったことこれも神様のなせるワザではないかと思いました。無事持ち主も見つかり本当に良かったと思います。
この拾った人は、5~6月に奥さんの里帰りで休暇をとり日本に訪問する予定だそうで、直接持ち主に手渡しで渡したいというメッセージを述べており、それが実現できたらいいなと思っています。
私達は簡単に漂流物などをガレキという言葉でひとまとめにしていますが、その物の中にも想い出がいっぱい詰まっているものがあるので、簡単にガレキという言葉で処理するのもどうかという思いもしました。
由紀さおりさん・安田祥子さんの「ふるさと」を次に聴く機会があったときは、いろいろなことを感じながら聴きそうです。
(織田店 阪下春夫)


Posted by 織田店 at 17:10 コメント(0件)

2012.04.17

「どんなにせつなくても必ず明日は来る ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない~ 」
今回この曲を題材にしたことについては、また後で書きます。この曲は1991年(平成3年)に発表されたもので、さだまさしファンの中でも強く支持されており、定期的に行われるファンの中で好きな曲アンケートのランキングでは、常に5位以内には入っている曲であります。また「この歌詞が好き」というランキングになると、先に歌の紹介をした部分の「どんなにせつなくても~ あなた独りじゃない」は3位以内に入っている歌となっています。
ところで4月7日~8日私は大学時代の部活の仲間との集まりがあり、その時に感じたことを今回の話題にしたいと思います。
昨年10月にほんの少人数が集まるだけのつもりが、色々連絡してもらったおかげで14人も集まるミニ同窓会となり、とても楽しい時間を過ごせたことから、その時に今度は部活で同じ時間を共有した仲間に会いたいという強い衝動に駆り出されました。そこで私は11月頃学年が1つ下のKさんに、部活の仲間と会う機会を作るということについて相談したところ、ぜひやりましょうということで、Kさんの連絡が取れる範囲で連絡してもらうことになりました。ただ皆が住んでいるところが徳島、香川、岡山、兵庫、大阪、奈良そして私の福井と範囲が広いので、開催場所をどこにするのかが問題となったのですが、大体中間となる神戸あたりがいいのではと2人で考えていたところ、Kさんと同じ学年のSさんから有馬温泉の宿泊施設なら、4/7~4/8に5人部屋2部屋の予約が取れそうですというメールがあり、とんとんびょうしで部活の仲間とのミニ同窓会のプランが決定しました。
人数は男女5人ずつという限定になりましたが、女性陣は学年が1つ下の5人組で男性陣は私の方から連絡をとり、同学年が私を含めて4人、1つ下の後輩が1人で、連絡をしたら皆ふたつ返事でOKの返事がもらえ、他の人も私同様このような集まりを望んでいたみたいでした。
4/7の夕方に有馬温泉のある居酒屋で集合しそこで1次会、そして宿泊の部屋で2次会でしたがあっという間に時間が過ぎました。テニスという共通のもので同じ時間を共有した仲間でしたので、本当に30年以上も会っていなかった人もいたのですが、すぐにあの頃のような感じで話が弾みました。ただ「部活でのあのことを覚えてる?」という色々な話題をある人は鮮明に覚えており、ある人は全然覚えていないというように同じ共通の出来事であっても、その人その人での印象度はやはり異なっているのだなと思いました。
2日目の4/8は六甲山のほうにドライブしながら、六甲からの展望や植物園、オルゴール館のところを皆でブラブラと歩きながら散策しました。その時の感覚は大学時代に一緒に行動した時と同じようなもので年齢のことは忘れていましたが、その時そばにいた人達から、あの集団はどんな集まりなのだろうと思われていたかもしれません。
とても楽しい2日間で、次の日からの活力が注入されました。ただ次の日からはすぐに現実に戻ってしまったので、あまりこの楽しかった余韻には浸れず、ほんの1週間くらい前の出来事だったのですが、もうだいぶ前の出来事だったような感じがします。
そして非常に残念だったのは、O君が都合で急に来れなくなったため10人集まる予定が9人になってしまったことです。O君はキャプテンでもあり、この機会に久しぶりに会えるのを楽しみにしていた人も多かったので、その人たちもとても残念がっていました。
そこで今回この歌を選んだのは、このように元気で久しぶりに会えたりすることやこのような催し物を計画して、無事トラブルもなく進めることそのこと事態が「奇跡」なのではないのかなという思いを感じたからです。
実は1つ下の女性陣の仲良しグループは6人組でしたが、Tさんが病気で若くして他界されました。また男性陣でも若くしてT君が他界しています。参加した仲間の心の中に、この2人のことも思い出す機会にもなったのかなと思い、天国からもこの2人がながめているのかなとも思いました。
今回参加できなかったO君のためにも、また次回どこかで集まりましょうという約束が取れたことがうれしかったです。
(織田店 阪下春夫)



Posted by 織田店 at 17:09 コメント(0件)

2012.04.02

「小さく丸めた 身体は今 かなしみ隠し震えて 命を表しているのね~ 」
NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が3月いっぱいで終了しました。そこで今回は、そのドラマの主題歌のこの曲を題材にしました。
私は朝8時の放送時間にテレビを見ることができないので、毎日録画したものを夜見ているのですが、今回のシリーズ「カーネーション」もとても面白くて、毎日この録画したものを見るのが、帰宅してからの楽しみになっていました。この番組を見ていない人のために、このテレビ小説のさわりだけ紹介します。世界的に活躍しているファッションデザイナーであるコシノ3姉妹(コシノヒロコ、ジュンコ、ミチコ)の母親小篠綾子さんをモデルにして、92年の生涯を通して大正から平成の日本の女性ファッションを中心に展開した物語です。この番組を見て私は改めて、女性のファッションへの思いの強さを感じとりました。私は衣類を買うとき特に全体のバランスなど考えず、適当にいいなと思ったものを購入しますが、女性の場合その服を選んでいるときにイメージが膨らんできて、その中での葛藤が選ぶ服を決めるのに苦労するというパターンになります。この番組からそのような行動パターンの理由が、女性は服から色々な喜びや希望というものを感じ取っているからだというのがわかりました。ですから女性は購入する気持ちが無くても、ウィンドウショッピングという形で色々と楽しめる特性があるのだろうなと感じました。
小篠綾子さんの晩年の頃の言葉をお借りしますが、
「敗戦の瓦礫の中から、戦勝国も目を見張る高度経済成長を遂げ、今日の繁栄を築いたバイタリティあふれる戦後の復興。それを支えた本当の力は、日本中の母親たちの母性愛だったのではないかと私は思っています。子供たちに少しでもいい暮らしをさせてやりたい。その純粋な思いで一心不乱にひたむきに働いてきたのは、私だけではありません。男はんはぎょうさん戦争にとられ、焼け跡で本当に生きる根性を見せたんは、日本中のお母ちゃんやったと思うんです。」
どうも男性陣は物凄い逆境の立場になるとそれに立ち向かいつつも、あきらめざるを得ないような状況下になった時意気消沈しますが、そのような時でも本当に力強いのは女性陣だと思います。昨年の東日本大震災の時でも、復興に向けての男性陣のがんばりもありますが、それ以上に女性のがんばりや女性陣の前向きな力で進んでいるところも多いと聞いています。やはり母性愛がなせるワザなのでしょうか。その女性たちに元気を与えているものの1つにファッションがあるみたいで、そのようなこともこの「カーネーション」で分かったような気がします。
ところでカーネーションの花は、原産は地中海沿岸といわれ、別名オランダナデシコと呼ばれています。日本には江戸時代にオランダから伝来してきたといわれ、現在ではカーネーションはキク、バラと並ぶ生産高を誇る花になっています。それからカーネーションといえば、母の日の定番のものです。赤色のカーネーションの花言葉が「真実の愛」「愛情」となっており、カーネーションが母の日に選ばれたのは、この花言葉から来ているようです。また十字架に架けられたキリストに、聖母が流した涙の後に咲いた花がカーネーションだと言われていることも、由来のひとつだとなっています。
さて今回この番組より、服から与えてもらえるパワーの存在を知りました。これから年齢を重ねていく時に、少しでもオシャレ心を持つことが若さの秘訣につながるのだろうということを感じましたので、オシャレ心の大事さについて学びました。
(織田店 阪下春夫)



Posted by 織田店 at 17:23 コメント(0件)

2012.03.15

「何も聞こえない何も聞かせてくれない 僕の身体が昔より大人になったからなのか ベッドに置いていた 初めて買った黒いラジオ~ 」
3月3日はひな祭りや耳の日ですが、「民放ラジオの日」という日でもあります。そこで今回は題名にラジオが付くこの歌を題材にしました。この曲は1990年に発売されヒットした曲で、徳永英明さんの数多いヒット曲の中のひとつであります。私自身徳永英明さんの曲の中で、この曲が現時点では一番好きな曲であります。それはこの曲のメロディーのイメージとサビの部分の歌詞が、とてもしっくりとマッチしているところです。そのサビの部分の歌詞は次のところです。
「思春期に少年から大人に変わる 道を探していた汚れもないままに~ 」
「華やいだ祭の後 静まる街を背に 星を眺めていた汚れもないままに~ 」
それから徳永英明さんは、私自身に対して大きな後押しをしてくれました。それは女性ヴォーカリストの名曲をカバーしたアルバム「VOCALIST」をシリーズで発表し、そして大ヒットされたことです。「恋におちて」「PRIDE」「ハナミズキ」「時代」などなど数多くの女性ヴォーカリストの作品を、徳永さんの声で新たなその作品の魅力を作り出しました。それまで私はカラオケで女性ヴォーカリストの曲を選曲するときに抵抗感がありましたが、徳永さんのアルバムがヒットしてからは、全然気にせず女性ヴォーカリストの曲も歌えるようになりました。私同様に感じている世の男性陣も数多くいるのではないかと思います。
ところでラジオについてですが、私は自動車通勤で朝晩1時間くらいラジオを利用しています。ラジオからは雑学的な情報を得たり、リクエスト曲の歌を聞いたりでラッシュ時のイライラの解消に少し役立っています。特にリクエスト曲で懐かしい曲が流れてくると、一瞬にしてその当時がよみがえります。どんな曲が出てくるのかが全然予想もできないので、懐かしい曲が流れてくると一緒になって口ずさんだりする時があります。
それからラジオについての思い出話をひとつ書いてみます。
私は高校生の時、入学後ある体育会系の部活に入部しましたが、練習の厳しさについて行けず1学期の終わりごろに退部しました。それ以降高校3年間は「帰宅部」だったので夕方が暇なため、ラジオのFM放送でPM6:00から1時間福井のローカルだけで放送されていた番組をよく聞いていました。だいたいそれを聞いているのは高校生が中心だった番組でしたが、その時のヒット曲が流れたりとか、ある曜日はテーマが例えば「最近おかしかった事」とか「○○の思いで」とか「○○について」などに添った内容の投稿されたハガキのやり取りとかがあったものでした。
ある時いつものようにラジオを聞いていると、同級生の女の子のハガキが読まれました。その時私自身と同じように、身近でこの番組を聞いている人がいるのだなと改めて感じました。そのことに感化され、私も何度かハガキを出しました。そしてあるテーマの時に私の書いたハガキが一度だけ読まれたことがありました。私の書いたものがラジオから放送されている時に、何とも言えない緊張感がありました。読み終わった後にリクエスト曲も流してもらい、その数分間の時間がとても長く感じました。ただその時私は匿名希望で投稿しましたので、その内容が私自身のものだというのは誰にもわからなかったのですけど、もし名前が呼ばれていたなら、物凄い冷や汗が出ただろうと思います。福井のローカルな番組だったのでハガキの数も少なかったから選ばれたのでしょうが、でも良い思い出です。
(織田店 阪下春夫)


Posted by 織田店 at 18:15 コメント(0件)

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